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白河簡易裁判所 昭和43年(ろ)9号 判決 1968年6月01日

被告人 大河原稔

主文

被告人は無罪。

理由

本件公訴事実は、

被告人は、車両運転の業務に従事している者であるが、昭和四二年一二月四日午前八時一五分頃、福島県石川郡石川町字矢ノ目田五一番地先国道(幅員七・七メートル)上において、時速約四〇キロメートルで普通貨物自動車を運転中、同所道路の両側には人家が建ち並び、しかも当時歩行者がありまた対向車の進行もあつて、交通混雑していたから、このような場合、自動車の運転者としては、先行車の動静に十分注意し、その直近を通過することになるから、減速徐行して進行すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、漫然同一速度で先行する橋本孝運転の足踏二輪自転車の右直近を通過しようとした過失により、折柄右自転車が右折しようとしたのを至近距離で発見し、急停車の措置をとつたが及ばず、自車左前部を同車両に接触させて路上に転倒させ、よつて、同人に対し、治療約二週間を要する左大腿部、膝部挫傷等の傷害を与えたものである。

というのである。

しかし、以下述べるとおり、被告人には本件事故について過失が認められない。

(一)  証人橋本孝、同大沼春雄の当公判廷における各供述、橋本孝、大沼春雄の司法警察員に対する各供述調書、司法警察員作成の実況見分調書、被告人の当公判廷における供述および被告人の司法警察員に対する供述調書を総合すれば、次の事実が認められる。

(イ)  被告人は、前記日時に、普通貨物自動車を運転して、時速約四〇キロメートルで(これ以上の速度であつたという証拠はない。)、前記場所付近に差しかかつたが、約一二・三メートルないしそれ以上前方の地点にはじめて被害者橋本孝が運転して同一方向に進行中の足踏二輪自転車を発見した。そのとき右自転車の中心は道路の左(以下左右は被告人の進行方向に向つていうものとする。)側端から約一・九メートル、被告人運転の自動車の左端は道路の左側端から約二・九メートルの位置にそれぞれあつたから、両者が左右へ寄ることなく、そのまま進行すれば、被告人の自動車が先行自転車を追抜く際、両者が衝突、接触するおそれはなかつた。(自転車のハンドルの端は、自転車の中心からせいぜい三〇センチメートル位であろうから、両者の追抜きの際の間隔は、二・九メートルから一・九メートルと三〇センチメートルの和を差引いた七〇センチメートルとなる。)

(ロ)  本件事故現場付近の道路は国道であり、幅員は七・七メートルでアスフアルトの舗装がなされており、ほぼ直線で見通しは良く、路面には凹凸はなく乾燥しており、被告人の進行方向に向つてゆるやかな下り勾配になつており、毎時四〇キロメートルの速度制限の指定がある。(四〇キロメートルであることは、実況見分調書添付の本件現場の写真中の道路標識の数字から明らかである。)

付近は石川町の入口であり、両側に人家が建ち並んでいるが、商店は数軒あるだけである。本件事故当時は、通勤者、通学者の通行はすでになく、付近の工場に勤める工員が、反対方向から左側を二人ずつ並んで五、六人歩いてきており、対向車は事故直前に一台通過し、右側にはバイクが駐車し、歩行者も若干あつた。(当時の本件現場の車および歩行者の通行はせいぜい右の程度であつて、決して混雑していたとは認められない。なお、大沼春雄の司法警察員に対する供述調書には「通勤時間でしたので、車も歩行者も相当多かつた」旨の記載があるが、「車も人も少なかつた」とする証人大沼春雄、同橋本孝の当公判廷における各供述および橋本孝の司法警察員に対する供述調書と対比して、採用できない。)

(ハ)  被告人は、先行する被害者運転の自転車に十分注意を払いつつ(先行自転車を注視していなかつたという証拠はない。)、道路のほぼ前同様の部分を前進したところ(すなわち道路に平行に)、被害者は、それまでふらふらよろめいたり、左右に寄つたりすることも全くなく、真直ぐに進行していたのに、自動車との距離が約一〇・一メートルになつたときに、突如、道路右側の商店に立ち寄ろうとして、相当の急角度(ほぼ四五度位)で右へ曲り、左から右へ斜めに道路の横断を始めた。その際、被害者は、やや速度を落しただけで、後方を全く確認もせず(なお、被害者の自転車には後写鏡は設けられていない。)、一時停車もせず、横断の合図も何らしなかつた。

そこで被告人は直ちに急制動の措置をとつたが(自転車が横断を始めるのを発見するのが遅れ、あるいは制動の措置をとるのが遅れたという証拠はない。)間に合わず、遂に、停止直前に、道路中央からやや左寄りの地点において(左側端から約三・一メートルの地点)、被告人の自動車の左前照灯の部分が被害者の自転車の後部荷台に追突して押すような形となり、被害者は自転車もろとも路上に転倒し、前記傷害を負つた。

(二)  そこで、右認定の事実に基づいて被告人に過失があつたかどうかを検討するに、本件被告人のように、そのまま進行すれば先行する自転車との間に十分な距離をおいた状態でこれを追抜きうる貨物自動車の運転者としては、右先行車に追従してこれを追抜こうとするに当り、特別な事情がない限り、右先行自転車が交通法規を守り、後方からの自動車との衝突の危険を未然に防止するため適切な行動に出ることを信頼して運転すれば足りるのであつて、本件被害者の自転車のように、あえて交通法規に違反し(道路交通法第五三条、同法施行令第二一条によれば、自転車を含む車両の運転者は、横断するときには、その地点から三〇メートル手前の地点に達したとき、右腕または右側方向指示器によつてその旨の合図をし、かつ横断行為が終わるまで当該合図を継続しなければならないのである。)、何らの合図をすることなく突然道路を横断する車両のありうることまで予想して常時これに備え、そのような場合でも直ちに急停車できる程度に減速徐行し、もつて事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務はないものと解するのが相当である。

そして、被害者は前記認定のとおり、直前まで横断するような気配は全くなく、被告人は毎時四〇キロメートルの制限速度を守り、被害者の自転車の動静には十分注意を払い、横断を始めるや直ちに急制動の措置をとつているのであるから、被告人は自動車運転者に要求される注意義務をすべてつくしているものというべきである。

検察官は、自転車に乗つている者は、交通法規を熟知していない点において、歩行者と同様であるから、自動車運転者は、本件のような場合にも対処できるよう減速徐行して運転すべきであると主張するが、自転車に乗つている者が老人、幼児などのように、みずからの安全を維持する能力に欠け、かつ往々にして不測な行動に出ることが多いことが経験則上認められる場合はともかくとして、自転車に乗る者といえども、現下の交通事情の下においては、交通法規を知悉し、これを良く守ることが要請されているといわなければならない。従つて、いわゆる信頼の原則の適用に当り、自転車を他の車両と区別する理由はない。そうでなければ、自動車の運転者は、前方に自転車を発見する都度、あるいは突如横断を始めるのではないかとして、極度に速度を落さなければならないことになり、車両等の高速度交通機関の効用は十分に発揮されない事態に立ち至ることは明白である。

しかも本件現場は、交通閑散な田舎道ではなく、幅員七・七メートルの舗装された国道であり、車の通行も相当程度あつたのであるから、自転車の運転者としても、右のような情況に対応して安全運転に努め、十分の注意をしなければならないことはなおさらである。

よつて、本件公訴事実は犯罪の証明がないことに帰するから、刑事訴訟法第三三六条により被告人に対し無罪の言渡をする。

(裁判官 矢崎秀一)

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